Noblesse Oblige  ~ノブレス・オブリージュ~

いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい テサロニケ人への第一の手紙5章16節~18節

新カラマーゾフの兄弟 下巻 亀山郁夫

新カラマーゾフの兄弟 下(上・下2巻)
新カラマーゾフの兄弟 下(上・下2巻)
河出書房新社

本当に歴史に残るほどひどい一冊だった、と後世に伝えられても
おかしくないほどホント「退屈」な本だった。
「本」っていうのも腹が立つぐらい。
結局、翻訳者が調子に乗って自説をそれっぽく小説仕立てにして
「こうなんだ!!これが決定稿!!」って感じで言いたかったただの
自画自賛+虚栄心の塊が世に出た形になったそんな感じ。
てか、『カラマーゾフの兄弟』ってタイトルに付けるなよ!!!怒
突っ込みどころ、そこな!!!!!怒
ドストエフスキーに失礼だろ!!って感じ。


こうなると亀山郁夫以外の翻訳を読むしかないのか?とすら思わせる。笑
絶対に読まないけどね。
いや、しかし、翻訳者の考え方の偏りがあると違う方向に誘導される
気がしてならない。


そういえば短大の入学式で学長が
「疑いなさい。例えそれが有名な教授の説であっても疑いなさい。
それが大学。学ぶ場と言うところ」と言ったのを今だに憶えている。笑
キリスト教の大学において「疑えって?どうよ?」と言う意味で
すごく印象に残ったから。
この本が大学教授が自分の説を「こうだ!」と発表したものであれば
どんどん「いや、違う。こうだ!!」と反論する機会は十分ある。
ただし、今時の大学でそこまで「研究」するのかな?笑
当たり障りのないコピペでそれこそ教授の説に逆らうような
論文で卒業できるとはとても思えない。
だって、大学も大概「閉鎖的」な空間だから。
今時の子はもっと要領よく生きている。
むしろこういった「一般書」で世に出すことによって「違う」と声を大にして
いうことのできる機会が与えられたと思ってもいいかも。
と綺麗にまとめたが読者をひきつける文章とはとても言い難く、退屈な一冊には
変わりなく、むしろ原案:亀山郁夫 としてもっとまともな「小説」を
書ける人に任せた方が良かったと思う。


もう『カラマーゾフ』はこりごりだ。笑