Noblesse Oblige  ~ノブレス・オブリージュ~

いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい テサロニケ人への第一の手紙5章16節~18節

天山の巫女ソニン2 菅野雪虫

天山の巫女ソニン(2) 海の孔雀 (講談社文庫)
天山の巫女ソニン(2) 海の孔雀 (講談社文庫)
講談社
2013-11-15

今回もまた毒々しいものをしっかりと含んだ「児童書」。



アマゾ×のレビューで「ほのぼの」とか書いている人って
本当に読んでるの?とか思ってしまう。
「児童書」と言う隠れ蓑にしっかり隠れているようで漏れ出ている
えげつない内容をどこまで感じているのかいないのか。
前回「児童書から一般図書に格上げ」と書きましたが、
何の何のこれ本当はどこまでも「一般書」ではないかと。
児童書っぽい文体に騙されて出版したものの
「これって…ジャンル間違ってた?」となった結果では?


普段児童書はめったに読まないのでその手の文体を真似るのは難しいですが
ちょっとチャレンジしてみます。


あこがれの他国の王子に
「僕の国に一度来てみないか?ちょっと勉強してみるのもいいよ。」
と誘われていそいそと留学してきたソニンが仕える自国王子。
ソニンは1巻での他国王子様とのやり取りで不信感はあったものの
乗り気の自国王子を止めることはできません。
しかし、自国王子が外出中に他国王子に秘密の小部屋に押し込まれた
ソニンは「巫女の力を使って毒を作れ」と命令されてしまいます。
「お前の国の王子なんかには用は無い。用があるのはお前(巫女の力)だけだ」と。
一方、他国王子には妹がいます。
自国王子も「他国王子の妹姫であればさぞかし美しい人なんだろう」と
興味を隠せません。
ところが、他国王子の妹姫はなんとお菓子の食べ過ぎで、
顔は肉に埋もれて目鼻立ちがわかりません。
ソニンがぶつかった最初の印象は
「丸くてふあふあとした柔らかい何か」でした。
そしてなんと姫は「知的障碍者」だったのです。
姫の特性を知らない自国王子は他国王子と一緒にいる姫を見て
「何だあの者は。不愉快な」と侮蔑と嫌悪をの表情を見せたのでした。
後日、他国王子はソニンに告げるのです。

「母を失った時は、妹さえいればいいと思った。

だが王宮に来てからは、妹さえいなければいいと思った」(p242)

どうですか?
結構エグくないですか?
特に自国王子、自身も「喋れない」と言う身体障碍者でもあるわけで。
身体障碍者が知的障碍者に嫌悪の表情…
というかリアルではタブーとされている障碍者が障碍者に対して
侮蔑と嫌悪の表情を見せるなんて読んだ時「ひ~~~」っと。
正直「ここまで書いていいのか?」と思いましたね。
更に障碍者を抱えている家族がその障碍者に対して
「いなければいいのに」と言う感情吐露も正直、ね。


子ども(小学生)が読んで、どこまでこの「えぐさ」に気が付くのか。
その一方で今時の小学校には「なかよし学級」が大体あると思うので
彼らにしてみれば「障碍者」は身近なので意外と平然とその
存在を受け入れているのかもしれない。
むしろ障碍者がタブー的な扱いだった40代50代の世代の方が
戸惑い(差別)を見せるのかもしれない。
実際長男が小学校に入学して行事に参加した時
「これ一体?????」と言うことがあったので帰宅して長男に
「あれはどういう??」と聞くと
「ああ、××ちゃんは『なかよし』だからあれでいいの」と。
もうそれ以上の説明の必要は全く無いのだ、何が問題?と納得しているようなので
自分の方が「無理解」でした。


けれど障害だけでなく病気もそうですが結局は
「自分自身が体験、経験」をしない事にはそれらを「理解」するということは
まず難しいのではないのかということ。
自分に降りかかって来て欲しくない、あまりうれしくない事はまず皆スルーし
「無かったこと」にするのがこの世に生きていく知恵であり技だから。
「マイノリティ」な事をすべて考慮していたら自身が先に進むことができない。
例えば病気で「癌」一つにとっても、性別、できた部位、進行度によって大雑把に
病名はおなじであっても、治療法や対処法は千差万別だと思う。
それこそ「乳がん」でも男性(あるのかな?)と女性それも未婚10代と既婚70代では
捉え方が全く違うように。
「わかってくれない」と怒るよりも「わからない方が普通」と流した方が気が
楽な時もあると思う。
病気の事を書くと「荒れる」のでイヤなんですが(過去に居たブログがそのパターン
だったのでこっちに引っ越した前歴あり)そうやって「タブー」視して語らないから
余計にお互いに「勘違いして」理解しあえないのではないかと常々思ってはいます。
(人間自分が住んでいる世界が「普通」であって、それ以外の人にとっては
「例外」であるということを忘れがち。そのことを忘れて議論するから揉める)
臭い物に蓋、を習慣として生きている「常識のある」大人にとって、
思いっきり蓋を開けさせて臭いをかがせてくれるシリーズだと私は思います。