Noblesse Oblige  ~ノブレス・オブリージュ~

いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい テサロニケ人への第一の手紙5章16節~18節

さすらいのジェニー ポール・ギャリコ


さすらいのジェニー
さすらいのジェニー
著者:ポール・ギャリコ
出版社:大和書房
カテゴリー:本

先日、途中放棄したこちら↓

ジェニィ (新潮文庫)
ジェニィ (新潮文庫)
著者:ポール・ギャリコ
出版社:新潮社
カテゴリー:本


こちらの口コミで「こっちより矢川さんの訳の方がいい!」とあったので読んでみた。


確かに、矢川さんの方がまるで児童書のような語り口だけれど日本語としてこなれていて読みやすい。
文庫の訳はまるで中学生が教科書をただただ平坦に訳しただけ!的な印象&また古臭い。


読み比べてみると明らかに意味の通じる日本語と「?」な日本語というか非日本人が訳したの?ぐらいの差。
堂々と文庫でこの人の訳が採用されているのはいわゆる大人の事情が出版社と訳者の間にあったのか?どうしてなんでしょう?


同じお金と読む時間を使うのであれば矢川さんの方が絶対にお薦め!


例えば『吾輩は猫である。名はまだない』を
文庫なら「私は猫です。名前はまだありません。」と中学英語的表現として
「僕は猫だよ。名前はまだないんだ」となるとラノベ系、ほのぼのアニメ系?と思ったり
「拙者は猫である。名は無論まだない」と武士風になり時代物?と思ったり
「おいらねこだよ。名前なんてねーぜ。当たりめえだろ」となるとバカそうな猫になるし
これだけ自分を表現する言葉を変えたら、次に続く言葉もその人物(動物)の性格を表現するイメージに繋がる。
ある意味文豪:夏目漱石が「吾輩」と言う硬そうでどこかユーモラス(猫なんだから)なこの言葉を文頭に持ってきたところにやっぱり文豪たるゆえんなのか、と思ってしまった。
同じ原作でも訳者の解釈でここまで「面白い」「つまらない」と明暗を分けてしまうわけで。
そういう意味でも翻訳物って訳者と原作者の相性ってあるんでしょうね。



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