Noblesse Oblige  ~ノブレス・オブリージュ~

いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい テサロニケ人への第一の手紙5章16節~18節

ケーキの切れない非行少年たち 宮口幸治

ケーキの切れない非行少年たち (新潮新書)
ケーキの切れない非行少年たち (新潮新書)
新潮社


非行少年が収監されてい医療少年院で筆者が感じた事。
それは「先生のいう事が全く理解できない→勉強ができない→同級生にバカにされる
→自尊感情が低い(自信が持てない)→怒りなどのマイナス感情を持つ→
自分より弱い存在を襲う(幼児強制わいせつ)→収監」
といったものが非行少年の大半に見られる流れ。
最終的に筆者は「犯罪者である前に学習能力が低いことに気が付いてもらえなかった
いわば『被害者』でもある」と。
なぜ勉強ができないのかそれを解決すべく学校の先生なり周りの大人が時間を作って
個人的に教えてくれる機会があればもしかしたら改善され→自信を持ち→前向きに物事に取り組むきっかけができて犯罪者にならずに済んだかもしれない。


ここで取り上げられている「先生の言っていることが理解できない」レベルが
例えばですよ(以下は私が読んだ上での想像です)
PC教育を学校で行ったとする。
先生が「左端にある電源スイッチを押してください」と言ったら大半の子は躊躇なくぽちっとな!できると思う。
しかし将来収監されるタイプの子はこの時点で既に「左端」の「左」が理解できない。
しかもその授業が二人一組で行われたとする。
もう一人の子が迷いなくポチっと押して何事もなかったかのように先に進む。
「え?おれ、左わかんねえ…ドコ、押したのかわかんねえ…」と置き去りにされたまま。
次回の授業で先生が「じゃ、今日はメールについて勉強しよう。電源入れて…」
またもやすでに理解された状態で授業は進む。
いまだにどこに電源ボタンがあるのかわからないままに…
となると、もうPCの授業が苦痛なんてもんじゃないと思う。
ここではわかりやすくPCで例えましたが算数でも国語でもいい。
「左右」すらわからない、という子供がいるという事すら無視されてどんどん
話(授業)が進んでいくとしたら、もう「勉強ができない」=学校がイヤ!って
気持になっていくという事が想像できる。
(この『想像できる』という部分すら「できない」子が実際にはいるのだが…)
そんな学習障害の子がある日を境に潜在的犯罪者になっていく…
小学校までならみんなの陰に隠れて「わからない」をごまかせても中学へと進学
する頃には歴然とした差が生じる。
なまじ「日本人なんだから日本語がわかる」と思われていることが問題。
むしろ親切な日本人は相手が「日本人ではない外国人」が道を聞いたら
よりかみ砕いて相手にわかるレベルまで言葉を選んで説明しようと「努力」して
くれるのに「お前、日本人だろ?なんでわかんないの?バカなの?」と一旦
切り捨てたら救いの手を差し伸べようとはしない。むしろ冷淡。残酷。


とまあ、なんと言いますか「え?そこから?」ってぐらいのレベルまで降りて
やらないと理解できない=国語ができない子どもが増えている ことも
照らし合わせると日本の将来はとことん暗いのですが…


発達障害だから、と医者に通ったところで薬を処方されて終わり。
むしろ何の抜本的解決にも繋がっていない、と書かれている。
それぐらい置き去りにされている問題。
誉めて育てろ!も一見耳障りがいいアドバイスだがこれも実は何の解決にも
なっていない。むしろ勉強を教えてあげる=解き方・理解の仕方を教えてあげる
ほうがどれだけ本人にとっても効果があることか…


暗い気持になりながら読み終えました。
とはいえ本としての内容レベルは同じことの繰り返しでイマイチ。
ただ学習障害をこのまま放置しておくと遅かれ早かれ将来的に犯罪者を
作り出すことになりかねない…と警告を鳴らしている点だけは評価できる。