Noblesse Oblige  ~ノブレス・オブリージュ~

いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい テサロニケ人への第一の手紙5章16節~18節

本をめぐる物語 小説よ永遠に 8作家

本をめぐる物語  小説よ、永遠に (角川文庫)
本をめぐる物語 小説よ、永遠に (角川文庫)
KADOKAWA/メディアファクトリー
2015-11-25

8作家によるアンソロジー。

しかしこれを読むと以前から思っていたことだが、

自分自身が本を読むことが好きで作家になった、って言う人多いと思う。

で、そこでよく「本」を語らせる内容になればなるほど作中で

古典的作品はもちろん「それ、何?」って言うレベルのマイナー作品を

これでもか、これでもか!!と列挙する人がかなりいる。

これ、本人は「どうだ!こんな本を知っているor読んだぞ!俺(or私)ってすごい?」という自慢大会をしているとしか思えないような

勘違い、イタイ存在、読者にとって不快感を与えているということにそろそろ気が付いてほしい

書き方をしている作品が多い。


逆に人間の友達がいないから本しか読んでこなかったから世間からずれたこんな

自慢大会を堂々とできるのかもしれないが。


そんな私の不快感を証明するかのような、ラストに掲載された

藤谷治の『新刊小説の滅亡』は異色で一番印象に残る作品だった。

筋としてはそんなに売れていない小説家に編集者が「新刊本が今後発売されることは

ありません。文芸誌と小説誌そのもの自体を発行することを止めます。

既刊は今まで通り発売します」と言う衝撃的事実を伝えることから始まる。

小説自体を発行しない背景にもう「小説が担う存在理由が無い」ということ。

今なら携帯やパソコンで読めるブログの方が価値があるようになっている。

そこまでして赤字を出してまで小説を出す意味があるんだろうか?と出版業界が

思うようになった。

また実力がある人は小説と言う表現方法を封じられても、

ドラマの原作等でこれまた新規開拓し生き残って行くのである。


これ、本当にそう思う。

ほとんど作家と一応くくられている書き手の「自己満足」だけで成り立った「物」に

編集者が根気強く付きあっただけのこと。

実際私は図書館で借りているから実害はないけれど、

100冊読んで1冊「面白かった」と言うものに出会えたらいい方。

むしろ「つまらん」と思う方が大多数。

特に「ラノベ」と言われる「素人さん」が書いたものがなぜか受けて多数出回った結果

レベルが落ちていて、読み手のレベルも落ちている。

高尚な文章を書いても読者の能力が低いから理解できない→売れないとなると

売れる作品=低知能でも理解できるお気楽なマンガ的なもので薄利多売を

するしか生き残る道が無いと出版社が思うのも無理はなくその結果世にどんどん

うす~~~い本、実際本を閉じた途端に内容を忘れる作品がほとんど。

こんな風にブログに感想を書いているのも、備忘帖代わりだから。

売り方の戦略の一つとして奇抜なタイトルを付けて興味を引かせるけど、

「内容は無いよう」ばっかり。

一つ当たると、他社&他作家までもが二匹目のドジョウ状態。

そうなると読者にしたら「どこかで読んだような…」と言うモヤモヤ感が募るばかり。


明治の文豪と言われた人たちが書いた作品は教科書で読むのがせいぜい。

教科書に取り上げられなかった「その他の作家」はどんどん切り捨てられていく。

なら、新刊が出無い分、これからの「良作」を読まざるを得ない状況にしたら

読者のレベルも上がるかも…と言うことらしいのだが。

文字中毒ならいざ知らず、面白く感じないものを例えば『源氏物語』が本棚にあっても

手に取るだろうか?

現代の文字、表現で書かれていてこそ理解も深まるが辞書を片手に読むほど

一度落ちた読者の能力で「愉しむ」ことなんてなかなか…

まあ、小学校からそのレベルしか教科書に掲載されていないのだとしたら

「慣れ」で読み進めることができるのかもしれないが。

今の猿以下の日本人の子どもを見る限り、現実には無理無理…


とまあ、長ったらしく書いたのは、この作品の最後の一行

『この小説を、ここまで読んでくれた人に訊いているんだよ』と

問題提議(?)されたから。

この一行で「やるなあ…この作家」と前7作家のお気楽な夢物語、

その他もろもろが一気に吹き飛んだのであった…