Noblesse Oblige  ~ノブレス・オブリージュ~

いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい テサロニケ人への第一の手紙5章16節~18節

大人になりきれない 平山瑞穂

大人になりきれない
大人になりきれない
PHP研究所


初めは「お仕事系?」と思いながら読んだのですが、あまりの毒っぷりと言うか
悪意に満ちた内容に正直いたたまれなかったです。
と言うのも、多分若い20代のまだ仕事を知らない人が読めば「ふ~ん」なところを
仕事をしてそれなりに傷ついて倒れた人間には「バカにされている側の人間」の
気持ちが痛いほどわかりすぎるので「自分の事を言われているよう…」な気がして。
働いていた当時の事を思い出して正直読むのが本当に辛かった。
今の人って本文で書かれているように仕事に対して本当に情熱ややる気が無いのでしょうか?
「結果をだす」ってことにそんなに執着しないものなのか?
時間の間だけそこに居ればそれでいい、って考えているのでしょうか?
そんな風に読みながら自分の働いていた時の感覚と今の働くという感覚の違いを
戸惑わずにはいられなかった。


さて、ランチタイム。
人の事の悪口を言うことで何を発散しているのか知りませんが、まあ、盛り上がっている
某会社。その中の「真帆」は会社での位置は
p6~

『上からは「可愛い真帆ちゃん」で通り、下からも過度に怖がられることは無い。

ひとたび獲得してしまえば、最も気を使わずに済む楽な立ち位置だ。

そして真帆自身、そういうニュートラルな立場に立つことが、女社会の中で無難に過ごしていくためには何より大事な事なのだと心得ている。』



p9

『彼女たちが口角泡を飛ばして繰り広げるこうした「黒い」話に、真帆は決して直接には加わらない。笑顔でうなずいたり、時々相槌を打ったりはするが、自分の意見を言うことは慎重に留保している。

ずるいなと自分で思うこともあるが、女社会における保身の上では、それが結局、最も手堅く安全な取り方なのだ。




こんな処世術私から見たら「ずるい女」の何ものでもありませんが、
結果としては「一番お得!」なのでしょう。ただ、その作戦がいつまで続けれるか
同じことをするやつが現れた時にはどう対処するのか教えてほしいもんです。


ところで「イタい」と揶揄された沙耶様。
お気の毒です。でも私もこんな風に映っていたんだろうなあ…
ところで起死回生の一環として「心の師」である某先生の所に行って
仕事を取ろうとします。
p266

それでも野々村は絶えずやさしい笑みを目元と口元にたたえながら、

おりおりにうなずいたり相槌を打ったりして静かに沙耶の話に耳を傾け、

ふと話が途切れたところで初めて質問を口にした。

これで仕事が取れる!!!と喜んだのもつかの間、一気に地獄に。


p271


あのもの柔らかな笑顔は、一体なんだったのだろう。

常日頃、彼女が説いている「相手の立場をおもんばかり、決して激さず、

まずは相手の言い分にじっと耳を傾ける「聞き上手」な女性になれ」という教えは、こういうことを指していたのか。

とまあ、掌を思いっきり返した「大人の対応」に涙するのです。
あるよね~人によって態度がコロッと変わる人。
しかも日ごろから「常識人」「やさしい人」とか言われている人種に限って表裏ありすぎで。


とまあ、ホント「大人の事情、対応」に翻弄されるわけですが。
3人の「イタイ」人を例に挙げながら「陰で笑っているような」嫌な内容ですが
題名に繋げるとしたらこれかも。
p236

女性にとって30代が節目になるという点は、実は昔から変わっていない。

ただ、昔のそれがすでに二人三人の子どもを持ち、母親としてどう成長していくかという問題にほぼ特化されていたのに対して、現代の特に働く女性にとっては様相がだいぶ異なっている。女性の社会進出と晩婚化が足並みを揃えて進んできた今、

女性は「娘」から「母親」へと一足飛びに進化するのではなく、

その間に「女」と言う中間的な立場・役割に置かれることを余儀なくされている。

ただ歴史的に見ても新しいその役割は、まだ定義が明瞭に定まっていない。

だから人によっては長く繰り延べされた「娘」から上手に脱却できない場合がある。

「母親」になるまでは「娘」であるはずと自分で思い込んでいるからである。

「娘」から「女」へのシフト、そこにこそ現代の30代の女性がぶち当たる「カベ」があるのである。


読み終わって思うのはランチの時間に人の悪口を言って過ごすだけの奴らが
どんなその後の人生を歩むのか楽しみである。
そんなやつこそ30を超えようが40になろうが煙たがられて今度は自分が
ランチの悪口の対象になればいい。