Noblesse Oblige  ~ノブレス・オブリージュ~

いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい テサロニケ人への第一の手紙5章16節~18節

日日是好日(にちにちこれこうじつ) 森下典子

日日是好日―「お茶」が教えてくれた15のしあわせ (新潮文庫)
日日是好日―「お茶」が教えてくれた15のしあわせ (新潮文庫)
新潮社

女性にとって独身時代からもしくは結婚してからでも始めた
「習い事」を何十年も続けることと言うのは意外に難しい事だと
私は思っている。
20代で始めても結婚、出産その他もろもろの出来事で泣く泣く
継続することが難しい。
一方、男性の方が意外と結婚等で自分の趣味を断念することが少ないように
思うのは気のせいだろうか?
ちなみにうちの夫は小学生から続けている事をいまだに延々と継続している。


さて本書。
20歳の時に母親から何気に勧められ、イトコと気楽な気持ちで
始めた「お茶のおけいこ」。
気が付けば25年以上…
習い始めの時は

「なんで?」

「なんでもいいの。いちいち『なぜ?』と聞かれると、

私も困るのよね。

とにかく、意味なんて分からなくてもいいから、そうするの」

妙な気がした。

学校の先生たちは

「今のはいい質問だ。わからないことを鵜呑みにしてはいけない。

判らなかったからその都度、理解できるまで何度でも聞きなさい。」

と言ったもんだ。

だから私は「なぜ?」と疑問を持つのはいい事なのだとずっと思っていた。

ところがなんだかここでは勝手が違っていた。

「わけなんかどうでもいいから、とにかくそうするの。

あなたたちは反発を感じるかもしれないけど、

お茶って、そういうものなの」

(中略)

「それがお茶なの。理由なんていいのよ、今は」





こうやって右も左もわからなかった著者が、何年も何十年続けても
「いまだにわからない」と悶々としたおけいこの描写が続く半面
その内「そうか!そうだったのか!」と「気づき」の「開眼」を
していく様が本当に興味深かった。


20年以上続けて著者が「わかったこと」は


だけど今は、その頃わからなかったことが、一つ、また一つと

自然にわかるようになった。十年も十五年も経って、ある日、不意に

「あ~そういうことだったのか」

とわかる。答えは自然にやってきた。

本当に知ることは時間がかかる。

けれど「あ、そうか!」とわかった瞬間、

それは私の血や肉になった。

もし初めから先生が全部説明してくれたら、私は長いプロセスの末に、

ある日、自分の答えを手にすることは無かった。

先生は「余白」を残してくれたのだ…

「もし私だったら、心の気付きの楽しさを、生徒に全て教える」…それは、自分が満足するために、相手の発見の歓びを奪うことだった。

先生は手順だけ教えて、何も教えない。

教えないことで、教えようとしていたのだ。

それは私たちを自由に解き放つことでもあった。

「作法」だけが存在する。

「作法」それ自体は厳格であり、自由など無いに等しい。

ところが「作法」のほかは何の決まりも制約も無いのだ。



お茶をやったことの無い人こそ、読んでほしい一冊。
そしてなるほど、お茶を通じて日本の四季を味わう文化なのだな…
奥が深いね「茶道」とはと思わずにはいられなかった。
その一方でお稽古と言うものは「先生との相性」が左右することは
言うまでも無く。
先生が「ハズレ」だったらホント、全てが嫌になるもの。
森下さんは「先生が本当に当たりだった!」と感謝して
これからもおけいこを続けてほしいと思う。