堕落する高級ブランド ダナ・トーマス
- 堕落する高級ブランド
- 講談社
- 本
2009年に発行された時点で「…」なあまりにも悲惨な高級ブランドの
実態がさらに10年近くたった今ではもっと悲惨な方向になっているのは
想像しやすい。
先に「president」
- PRESIDENT (プレジデント) 2017年9/4号(実家の大々問題)
- プレジデント社
- 2017-08-12
- 本
の中でやはりファッションについて書かれたあった部分を抜粋したが
本書と合わせて「ファッションの衰退、生き残り」の現状と比較すると
そりゃ当然の結果だよなあ…と言う感じ。
日本の街でも駅前に入店している店が似たり寄ったりで「違いが判らない」ように
「高級ブランド」と言われていたブランドが
「似たり寄ったり」=欲しいと思わないのは当然かと。
というのも、マーケティングで「売れる」ことだけに特化した商品。
広告の効果で「欲しいと思わせているだけ」の商品。
ふと、気が付いたら「私、本当にこれが欲しかったの?」と言う
まるで暗示、催眠が解けたかのような気になってしまうのではないだろうか?日本人は暗示にかかりやすいからブランドにつぎ込み過ぎて破産している人が多いのは情けないというかおめでたいというか…売る側にしてみれば「カモがねぎしょって」状態で笑いが止まらないだろうに。
誰の為にその商品を作っているのか?売っているのか?
創業者一族からすべてを奪い取って「名前だけ」残しただけで
ブランドの矜持、プライド、歴史、想いを全て機械化のごとく均一化している
今の高級ブランド。
かろうじてどれだけ顧客を待たせようとひたすらこだわりの手作りをするエルメスと
原材料の質を落としてまで売りたいと思わないと頑張るシャネルのNO5に込められている職人の想いがあってこそ「高級ブランド」としての意地とプライドが垣間見える。
けれど、この2ブランドだけ。
あとは大きな声では絶対に言えない「メイドインチャイナ」が存在するなど
「儲けりゃいい」と言う考えが蔓延しているのが実情。
生き残り策の一つとしてブラジルの「ダズリュ」を取り上げているが
これって突き詰めると日本百貨店の「外商」の規模が大きくなっただけでは?
顧客の好みを知り尽くして、欲しいものだけを選ばせ買わせる。
客が店に行かなくても外商が車に商品を積んでやってくる、あれに。
最終的には「人と人」のつながりがあってこそどんな商売でも
生き残れるのではないだろうか?
ブランドにさほど興味が無い私でも十分裏側を楽しめることができた一冊。
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