Noblesse Oblige  ~ノブレス・オブリージュ~

いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい テサロニケ人への第一の手紙5章16節~18節

お咒(まじない)日和 加門七海

お咒い日和 その解説と実際 (幽BOOKS)
お咒い日和 その解説と実際 (幽BOOKS)
KADOKAWA
2017-07-28

なにやら含むモノが多々ありそうな書き方をなさっている加門さん。

オマジナイもマジナイもそしてノロイも

根っこの部分はおんなじものだ。

漢字で書けばいずれも「呪」となる。



そして


実際呪術に効果があるかどうかについては本書では触らない。

そこを語ると面倒なので、効果はある(期待できる)ということで、

この先の話を進めて行きたい。

心の問題は厄介だ。

(中略)

では作法が同じであるならば素人がやってもプロがやっても

効果は同じなのだろうか?

しかし私の知るプロは皆、同じではないと口をそろえる。

なぜか。

(中略)

公になっている技の多くは要のところが抜けている。

本の記述だけでは詳細が伝わらないことにある。

多くの本ではタイミングや順番が省かれている。

××に伝わるマジナイは公になった時にはもう、当事者たちは

その方法を手放している時があるのだ。

(中略)

心と呪い術はこのように曖昧で面倒臭い関係を持つ。

どちらを無視してもバランスは崩れる。

バランスが崩れれば、禍(わざわい)が来る。

そう、光と闇のように、術と心も表裏一体のものなのだ

(中略)

光りの世界は安心できるが、限定的だ。

闇は危険だが、無限の世界だ。

ボーダーレスな闇に身を置いて、侵食されるか、侵食するか。

成否の鍵は、まさに各人の心の持ちよう。

闇を恐れ、闇に近づく魂の強さにかかっているのだ。




気のせいかな?昨日書いた本と似たことを言っている。
要はすべては個人の心次第。
どちらに傾くか。
「まじない」が武器になるか凶器になるか。


本書では日本に古くから伝わる「まじない」。
それは女子高生が嬉しそうにやっているレベルではなく
マタギや海女、大工が現在も行っているもの。
全てが昔から現代に「繋がっている」ことに意味が無いはずはない。
しかし、今まで門外不出だったものが研究者によってあばかれ、
白日の下にさらされた時にはもう「効力が無い」に等しい。
そうやって見方を変えてみると「研究「発掘」と言う名のもとに禁忌を
犯しているような気がしてきた。
もしかしてそれやっちゃったから大規模な自然災害が起こってる?
もしかして「一点をわざと欠いている絵」に「修復」と言う行為によって
保っていた均等が崩れた?
そんな風に思えてならない。
重々しく宮中や神社の行事のように行われているしきたりが
実はもう意味をなしていない形骸化した(明治に一新された)
ものになっていることも何やら意味を感じる。
それをハッキリと根本的に日本と言う国を「壊した」のは「核」。
もしかして日本を覆っていた大きな結界に穴を開けて、
価値観を特に人の心を壊すために「核」を落としたのか?
と昨日の本に関連づけてしまった。
占領下において本来守り続けて行かなければならなかったものを
ことごとく壊され、奪われ、失い、忘れるように仕向けられた気がしてならない。
「着物」一つとってもあれほど「術」の意味がある衣服だったとは…
そういう意味では日本人の持っていた「文化」って奥が深い。
でも、その文化そのものを奪って「ふぬけ」にされてしまい、
今では平気で親が子を殺し、子が親(祖父母)を殺すというとんでもない
「心を失った」人種になってしまった。


まとまりが無くなっちゃたけど、
なんか、つらい~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~