Noblesse Oblige  ~ノブレス・オブリージュ~

いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい テサロニケ人への第一の手紙5章16節~18節

マスコミと官僚の「無知」と「悪意」 高橋洋一

マスコミと官僚の「無知」と「悪意」 (産経セレクト S 20)
マスコミと官僚の「無知」と「悪意」 (産経セレクト S 20)
産経新聞出版

令和2年(2020年)12月発行


夕刊フジで連載中のコラム(2019年~20年分)を元に再構成・加筆訂正したもの


つくづくニュースと言うか時事問題は「賞味期限がほとんどないナマモノ」だなあ、と


たった3年前の出来事ですらポンポンと投げ出されるように書かれて自分の意見だけを
述べたものを読んでも「はて?」と言う感じ
そしてコラムと言う紙面がかなり限られた状態で書かれたものだけに「もっと詳しく!」
と言う気持ちにさせられた


p20~


大阪市の松井一郎市長は19年9月の記者会見で「メディアは汚染水という表現はやめたほうがいい。あれは処理水」とした上で1部メディアを名指しして批判した。(中略)

「汚染水」とは、原子炉内で溶けて固まった燃料を冷却するために使用した後の水だ。これには有害な放射性物質が含まれている。

一方、「処理水」とは、汚染水から有害な放射性物質を除去し、無害化させたものだ。

三重水素(トリチウム)だけは除去が難しいものの、これは自然界のあらゆる水の中に存在するので、適切に希釈すれば、海洋放出しても問題はなく、実際に世界中で行われている

(中略)

菅政権としても、無害な処理水をいつまでも貯蔵しているつもりはない。当たり前のことを行うというのが、菅政権のモットーなので、処理水放出の決定は時間の問題だった。

(中略)

しかし、1部マスコミは原発「処理水」を「汚染水」と呼び続けていた。19年の松井発言による問題提起から、見出しでは「処理水」という用語を使うようになったものの、記事では未だに「汚染水」を使っている。見出しで「処理」としていても、文中では「処理済み汚染水」「汚染水」という言葉を使う報道もある。

こうした不正確な言葉を今でも使う1部マスコミの報道姿勢こそが、誤解と風評被害を拡散させているといってもいいだろう。(中略)

あと2年でタンクが満杯になるとされる。政府内の諸手続・諸審査で一定の時間がかかることを考えればそろそろ決断の時期が近づいている。

(2020年10月21日)


今年丁寧な説明無く処理水が放出されましたがタンクが満杯になったのですね…
上記の説明を読んだ上であれば「納得」できる出来事だと思います
まあ普段からTVばかり見ている人は上記の引用文すら読むのが「めんどくさい」人々なのでいくら丁寧な説明をしても無駄、と判断されたのでは?
菅ちゃんが「当たり前の事」として考えていたことを、しれっと岸田が実行したということで一件落着?!



その一方で本書に書かれた説を3年経った今、
どこまでが「現実」になってどこまでが「危惧」で終わったのか
比較考証してもらいたい気がする