裏・読書 手塚マキ
- 裏・読書 (ハフポストブックス)
- ディスカヴァー・トゥエンティワン
- 本
夏目漱石『こころ』男のマウンティング小説がいつまでも教科書に載っていていいのだろうか
村上春樹『ノルウェイの森』女性が口説いた方がうまくいく世の中、これからの男の生き方とは。
又吉直樹『火花』本音なんてどうせ伝わらない。諦めの中にどんな希望を見出すのか。
吉野源三郎『漫画 君たちはどう生きる』』単なる「少年の成長物語」ではない。世の中の「揉め事」の難解さに思いを馳せる。
俵万智『サラダ記念日』snsの短い言葉にイラッとする前に、言葉の曖昧さを楽しみたい。
乙武洋匡『五体不満足』この本の主役は彼自身ではない。障害者と健常者とのという二元論の向こう側にあるもの。
山田詠美『ぼくは勉強ができない』ムキになって成長を目指す前に、ありのままに身を委ねる「大人観」。
平野啓一郎『マチネの終わりに』大人の恋愛に学ぶ、役割分担の愛よりも「インテリ愛」
東野圭吾『容疑者Xの献身』世界絶賛のトリックよりも気になってしまう、一方的な「女性観」。
林真理子『野心のすすめ』自分の身の丈を熟知し、楽しむ。僕が伝えたい「品性のすすめ」。
川端康成「眠れる美女」「1流」と「俺流」の二つのモノサシで「老い」について考える。
太宰治「走れメロス」メロスになれない僕たちが学べる「待つ力」とは。
西原理恵子「ぼくんち」痛々しくて優しい人達がゆるしあうための、これからの「聖書」。
という一言書評が表紙にびっしりと書かれていて「まあなんて面白そう!毒々しい、スカッとする評価」を期待して借りてみました。
ところがどっこい。私が読んだ本の文章から受ける波動や著者の性格をストレートに受けて、反応してしまう体質とは違い、この著者はある程度厚さがある「フィルター」を持っていてそれを通して感想を書いている、そんな感じ。
元ホスト、現ホストクラブ経営者となれば何でもかんでもストレートに受け止めていたら
身体が持たないので当然それが書評に現れている気がする。
なんていうか「先生みたいな人だな」という印象。
「売上一番!」「売って売って売りまくれ!」な経営ではなく「どうすれば自分が売れるホストになれるのか自分で考えろ」みたいな。
「自分の人生の先には何があるのか」
「今がよければいい、ではなく、その先を掴むために今何をしたらいいのか」
って感じの書評が多い。
人を育てている系?(ある意味、ビジネス本と言っていい)
私なら読んだ本から受け取った波動のまんま「(この主人公)クソ!orゲス!」
ついで言うとこの作者も「カス!」と一刀両断もしくは「一言」で評価するのでそれを読んだ人が到底「この本、読んでみたい」と絶対に思わせないところを、
「ゲスでもきっといいところがある!」と聖人みたいな「救いあげ」の「優しさ」や「懐の広さ」みたいな文章で書かれている。
ただ、この本で取り上げられていた書評を読んで「この本、面白そう…」と読んでみたところ「え…何このゲスっぷり…こんな話だったのか…」と呆然とするかもしれないけど。笑
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