Noblesse Oblige  ~ノブレス・オブリージュ~

いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい テサロニケ人への第一の手紙5章16節~18節

Somewhere not Here ここではない何処かへ 小野崎まち

サムウェア・ノットヒア ~ここではない何処かへ~ (マイナビ出版ファン文庫)
サムウェア・ノットヒア ~ここではない何処かへ~ (マイナビ出版ファン文庫)
マイナビ出版
2016-10-21
Kindle本

題名を背表紙で見た時「あ、やべえ…」と言う予感はありました。
「ここではない何処かへ」
もうめっちゃ色々想像していまうではありませんか。
内容は期待通りと言うかヒリヒリとした喪失感、焦燥感、絶望…
「自分って一体何者???」


ハッキリ言ってかなり暗い内容。自分がもしこの本を読んだ時が
高校生であったならば多分主人公に自分を重ねて涙したと思う。
けれど、残念ながらもう自分は高校生どころか子どもすら高校生の時期を
過ぎてしまった。あの頃の何とも言えない感情をいつの間にかきれいに
昇華してしまった…
泣きたくなるような懐かしい痛み…


この本は「絵を描くこと」によって自分を表現しようとしています。
偶然、高校美術科で学ぶ生徒たちの作品を見たことがあります。衝撃でした。
授業の課題で同じモチーフを見て描いているはずなのに
表現されている物が色も形も構図が全員が全員、
違っているのには衝撃を受けました。
「え、この子たちにはこれがこんな風に見えるのか…」
絵は見たままそのものずばりを描くもの、と思っていた私はホントこの年になって
初めて「絵」と言うものの捉え方が間違っていたことに気が付きました。
心象も盛り込むのが「絵」なのだと。
ある生徒には「これは悲しそうに感じた」同じものなのに別の生徒は
「期待に満ち溢れていると感じた」とそれぞれ自分たちの作品の一行説明に
書かれている物に目を通すと「そう感じるのか…」。
感じたものを表現することのむつかしさなどあの時見た高校生が描いた絵を
見ていなければこの本に書かれている描写を理解することは
きっとできなかったと思う。
感性が豊かな年代だからこそ悩み傷つき自分を追い込んで行くんだろうなあ…
そしてそれを乗り越えた時に「物がわかった大人」になるのかもしれない。
けれどそれは「芸術家」にとっては不必要過ぎる要素とも言えるのかも。