Noblesse Oblige  ~ノブレス・オブリージュ~

いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい テサロニケ人への第一の手紙5章16節~18節

だれでもわかるゆる仏教入門 松﨑智海

だれでもわかる ゆる仏教入門
だれでもわかる ゆる仏教入門
ナツメ社

寺を継ぎたくない!と言う事でまずは学校の先生をしてお茶を濁していたけれど
やはり最終お坊さんになった筆者
そして同年代(主に1970年代生まれ)の他の宗派のお坊さんにそれぞれの
仏教の関わり方、思想、これからの在り方をインタビュー
これが本当に良かった!
ほとんどの人が「寺を継ぎたくない!」と思っていたにもかかわらず
やっぱり「呼ばれている」というか「そういう運命」だったんだな、みたいな
そして各自が自分たちの宗派に誇りをもって「使命」を熱く語っている!


その中のおひとり、臨済宗の細川氏(竜雲寺住職)の言葉
p139

人と出会わずに部屋に閉じこもっていれば、一喜一憂せずに人生を歩んでいけます。

一方で人と交われば、いいことも悪いことも起こります。

そこで生じる喜怒哀楽の心の揺れ幅こそが人生の豊かさで、

社会との繋がる意味なんです。(中略)

僕は禅とは「心の柱」に目を向けることであり、

悟りとは「きしむことができる柱」だと思っているんです。(中略)

きしんで揺れる幅の大きさが豊かさ。

楽しいが100,悲しいが100でプラマイゼロになるのではなく、足して200になる。それが人生の豊かさであり、そう思えるように修行するのが臨済宗の教えです。



前から疑問だった「一言で仏教と言うけれど各宗があるのはなぜ?」と言う答えがあった
p44

お釈迦様は丁寧に相手に合わせて教えていきます。「相手に合わせて教えを説く」方法を対機説法と言います。人はそれぞれ能力も置かれてきた環境も違います。同じ言葉を使っても万人が同じように受け止めるわけではありません。お釈迦様はその人のすべてを見抜き、今最も適している教えを差し出します。つまり聞いた人はそれぞれ違う形の教えを受け取っているという事です。それによって、教えの多様性が生まれます。

同じ仏教なのに、浄土だとか禅だとか、密教だとか、性格の違う教えがたくさんあるのはそもそもこのお釈迦様の伝達スタイルによるもの。

仏教は必然的に多様性を認める教えです。お釈迦様は人それぞれの悟り方を認めて、それぞれが仏に成ることを勧めたのです。


「こうでなくっちゃ!!!」と思う人ほど仏教を学んで「こういうやり方もあるのね」と
視野を広げた方がいいみたい…(;^_^A