はじめての日月神示 中矢伸一
- はじめての日月神示
- かざひの文庫
- Digital Ebook Purchas
2018年発行
本書における日月神示の説明を適度に以下抜粋
・決まった名称は無い。便宜上「日月神示」と言う呼び方で統一
・「ひふみ神示」「ひつく神示」とも呼ばれるし単に「一二三」と書いて「ひふみ」と言う
・この文書が初めて降ろされたのは昭和19年(1944)6月10日
・書いたのは画家の岡本天明。
しかし天明が自分の意思で書いたものではない
現在の千葉県成田市台方の麻賀多(まかた)神社を訪問した時に
(以下のようなものを)自動書記にて書いた
・天明さんは教祖ではなく「神示(ふで)書かす御役」
以下の文をこのブログでは「原文」と称します
二ニ八八れ十二ほん八れ ☆の九二のま九十の☆のちからをあら八す四十七れる
卍も十も九も八きりたすけて七六かしい五くろうのない四かくるから
三たまを二たんにみかいて一すしのま九十を十四て九れ四 いま一十九六あるか
この九六八三たまを三かいておらぬ十こせぬ 九の四八まつて二十十七一九六てある
※ ☆は別の記号ですがPCで出せないのでこれで代用
ちなみに意味は「神」
天明さん自身「はて?これは一体何?」と言う代物だったのでしばらくは放置していたらしいですが研究者等と解読作業をした結果
「富士は晴れたり、日本晴れ。神の国のまことの神の力をあらわす代(よ)となれる。
仏もキリストも何も彼(か)もはっきり助けて、しち難しい御苦労のない代が来るから、
身魂(みたま)を不断に磨いて一筋の誠を通してくれよ。いま一(ひと)苦労あるが、
この苦労は身魂を磨いておらぬと越せぬ。この世始まって二度とない苦労である」
と言う「第一仮訳」がこの世にだされた
ちなみに日月神示は現在表に出ているものの他に
・最終50巻にも及ぶが発表を禁じられている巻が13巻もある
そうです
本書ではこの「第一仮訳」が掲載されておらず、著者の中矢氏による「現代文とその解釈」のみの掲載
正直文章的に「差が無い」ので、(若者に読みやすい様にと配慮した結果らしい。
よほど偏差値の低い人間を想定したのか…ごにょごにょ)むしろ仮訳と解説のみにしてほしかった
それぐらい私には「仮訳」の方がすっと頭に入ってきた←北川氏の本を先に読んでいて良かった
一方で先に紹介した北川氏の解釈がどうにもこうにもバイアスが入っているからイマイチ良書とは思えないと個人的には評価が低くなった理由はこちらに書いてあった
p238
本来神示と言うのもは、一切人の手を加えず、何者の意識をも挟まず、
原文そのままの状態で読むのが一番良いとされています。
神示が持つ、原文そのものに、言霊としてのエネルギーが宿っている
からです。
(中略)
日月神示と言うのは、日本人が潜在意識の中で受け継いできた精神性の、いわばエッセンスのようなものです。エッセンスなので、凝縮されているのです。
また両氏(特に北川氏)の解説を読んでも「ん~それはちょっと…」と納得しかねることが多々あったのは
p25
ただしその内容は、読む人の器というか、魂の状態によって微妙に変わります。
日月神示をどう読み解き、自分のものにするかは、その人次第なのです。
百人いれば百通りの受け止め方があるのではないかと思えるくらい、その内容は変化します。これは、人の手で書かれた文書ではないことの一つの証だと思います。
という事らしいので、むしろ一人の人が書いた「これが日月神示!」的な文章(本)の内容だけをうのみにせず、自分で何冊も色々な解説の本を読んで比較していくとその人が書かなかった(取り上げなかった)部分が出てくるから妙な「宗教的・盲信」に陥らなくて済むような気がします
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