Noblesse Oblige  ~ノブレス・オブリージュ~

いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい テサロニケ人への第一の手紙5章16節~18節

二人歩きの設計図 槇村さとる

ふたり歩きの設計図
ふたり歩きの設計図
集英社

本書は『イマジンノート』の第二弾として作成。
内容はほぼ変化なし。むしろそれ以上に力強さを持っているとは思う。
けれど。
どこか文章に「独りよがり」をかなり感じて、正直読むのが嫌になった。
というか、書いていること=言っていることと、やっていることが矛盾
してませんか?


先日まで読んでいた「植松」氏の出ている番組内で、おしゃれを侮辱された
奥様の姿をテレビを見ている側の人間(槇村氏)は笑う…みたいな下りで


図星をさされた途端、感情的になって反撃する人を見ると

「こういう人と、込み入った話し合いをする関係にはなりたくないな。」と思ってしまう。

相手よりもその相手と話し合う目的よりも、

「自分のコンプレックスを指摘されない事」を最優先している

自己中な人とは会話が成り立たない。

「ああごめん。もうそこには触らない。赦してケロ。」と言って

私から終わらせてしまう。

(中略)

もし人を見下して、優越感を持っていないと会話の場に立てないような人に当たってしまったら…笑って逃げます。サヨーナラー。



自分の意見をはっきり言えない人を糾弾する文章を書きながら、
いざその人が感情的に切りかえしたら、即逃走。
それ、おかしくない?相手の言い分は聞かないのですか?
自分の価値判断に合わない人は即切るの?
それの方がよっぽど「子供っぽい」と思うのですが。
この人の本を読んでいて思うのは「自分は正しい」「こうでなければならない」
を押し付けてくる気がしてならない。
加えてパートナーが全面的にそれを支持するから「独りよがり」を
指摘されずにどんどん「悪化」「暴走」している気がした。
人それぞれ「事情」があるのだからそうしたくてもできない時もある。
全ての人間が「でも、だって…」に逃げているわけではない。
(多いとは思うけど。笑 )
彼女が言っている分は自分も似た性格だから一応はわかるのだけれど、
それをこういった有名人が本で「こうしないとだめよ!」と言われたら
ちょっと違う気がする。
それはもう私が40代だからかもしれないが。
20、30代の人がこれを読んだら「そうだ、自分の意思を持って行動しないと」
と言った決心に繋がるのかもしれないが。
逆に年を取った私から言わせれば
「あなたが言うことがすべて正しいわけじゃない」「視野狭くない?」
という反発を持ってしまった。


ところで引用した部分ですら正直読みにくい(理解しにくい)文章だと思う。
あとがきに

超わっかりにくい私の独断文章に、「ここがちょっと~」と

ズバズバ直しを入れてくれた…(以下省略)

これで直しが入っているのだから、初めの原稿は相当「…」だったのだろうな。
というか、文章が「感情的」過ぎて「何が言いたいのかわらないんですけど」。
本読みだから我慢して最後まで読んだけれど、この内容をインタビュー番組で
見たらそれこそ「そこは触らないから、許してケロ」と即刻テレビを
消していると思う。