Noblesse Oblige  ~ノブレス・オブリージュ~

いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい テサロニケ人への第一の手紙5章16節~18節

フラワークッキーと春の秘密 ヴァージニア・ローウェル

フラワークッキーと春の秘密―クッキーと名推理〈1〉 (コージーブックス)
フラワークッキーと春の秘密―クッキーと名推理〈1〉 (コージーブックス)
著者:ヴァージニア ローウェル
出版社:原書房
カテゴリー:本

何が一体どう違うんだろう?と不思議に思ってしまうほど、前回感想を書いた本とこの本との差を考えてしまう。
似たような設定(と言うか丸被り)、似たような展開…
一日たてばさて一体どんな話だったのかさっぱり思い出せないような内容なのに。
こちらは読んでいてイラつくことも無く、とはいうものの感動することも無いのだが、それでもイラつかないのはまし。
これは原作者が性格が悪いのが原文にも表れていて訳者がきっちりそのニュアンスをとらえているから性格の悪いヒロインが浮き彫りにされるのか?
では、同じ原作で訳者を変えたら、イラつかない文章になるのだろうか?そっちの方が興味深い。


さて本書。
主人公が友人と「クッキーカッター=クッキー型」を売る店を経営している。
あくまでも「クッキー型」。クッキーも売ればいいのに。クッキーはあくまでもおまけの位置。
というか、クッキーの型ってそんなに毎日売れるものなのか?と文化の違いからくる違和感は否めない。
客が列なして雑貨を買う店って日本では想像がつかない。
このクッキー型を通して謎解きをするのでその小道具として利用するために仕方ないとはいえ、ちょっと無理がありませんか?と突っ込みたい。
せめて、コーヒーとクッキーが楽しめる店にしてはどうでしょう?


2巻目もありますが、今度もクッキー型で推理するんでしょうか?
それとどうしてこの手のコージーもんは刑事や警察官とばかり恋に落ちるのでしょう?
事件のヒントをもらいやすい立場として「利用」するために仕方ないとはいえ、たまにはもっと普通の人と恋に落ちるパターンも少しは作ってくださいよ、とワンパターンから抜け出す気のないアメリカ人作家に言いたい。