徳川おてんば姫 井手久美子
- 徳川おてんば姫
- 東京キララ社
- 本
「大政奉還 徳川慶喜」なんて言葉、試験の時だけ覚えていればいい歴史上の人!レベルでむしろ「本当に存在したのか??」位の感覚の人の孫にあたる方が書いた本。
42ページに軍服(?)を着た慶喜殿の写真が載っていて初めて「ほ~本当に実在したんだ~」と実感がわくというか、特に歴史を語るうえで文章だけ、写真だけではダメで本書の様に写真も撮影当時状況を説明してくれると本当に「生の声」として伝わってくる。
それにしても着物を着てちょんまげ結って刀を差していた「日本人」が数年前まで存在していたんだなあ…と変な感じ…
武家の娘として厳しくしつけられた一端としてp29
二人ともしつけには厳しく、夜中に枕を外すと、どこで見ていたのかひどく叱られ
「昔は寝ている時に頭が動かない様に、剃刀を左右に置いたものですよ」などと言われました。今でも寝相がいいのはそのおかげかもしれません。
慶喜公も寝る時は行儀よく動かない様に、頭の両脇に剃刀を置いていたと聞きました。
良家の人たちって「寝がえり」も打てないのか…涙
平民で良かった、よかった。(まじで)
子供の頃住んでいたのは3400坪もの敷地の広さ!
ところが戦後、財産税として取り上げられ現在は一部「国際仏教大学院大学」となっているそう。どういう形であれ貴重な歴史的建築物&土地が分割されずに現存していることは喜ばしい事だと思います。
そんなこんなで戦争を経て波乱万丈の生活を送った今だからこそ「武家の出」であることに
誇りを持っているからか最後にちらりとこんなことをお書きに。
(お姉さまが高松宮妃 喜久子様)
p181~
ニュースなどを見ていると、妃殿下がご健在の頃とでは、時代が変わったのだと感じることが多々あります。
宮家らしさというものは後で身につけることは出来ず、生まれた瞬間から備わるもの、
すなわちご結婚にあたり家柄が重視さえるのは当然のことだと思わざるを得ません。
何かうまく行かないことが起こるのであれば、そこに理由があるのだと、『家』に翻弄されてきた立場だからこそ強く感じます。
人をどこまでも思いやることができる心、位高ければ徳高きを要す、それが培われる環境は一夜にして成らず、そう思います。
平民ですら結婚後しばらく経つと嫌でも「家の格」というものが存在することに
気がつくものなのに…どこぞのバカ娘と詐欺師まがい親子に言うたってくれ!!!!!!!
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