Noblesse Oblige  ~ノブレス・オブリージュ~

いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい テサロニケ人への第一の手紙5章16節~18節

おどる認知症 岸香里

おどる認知症
おどる認知症
いそっぷ社

看護学校から新卒で老人病棟に配属になった漫画家兼ナースの著者の話。
先輩ナースたちに「ここは最後に働く病院よ?(新卒でここ配属は珍しい)」と
言われる。
初めての体験(?)を面白おかしく書いている分は良かったのだが、途中で看護学校でも食事の時は相手に「これは××ですよ~次はこれですね~」と一品ずつ説明しながら
口に持って行っくと習ったのでその通りにしていると先輩に

「何やってんのよ!!老人病棟(うち)はこうやるのよ!」

と先輩ナースはいきなりおかゆの中に汁、おかずをぶち込んだ。

一挙に混ぜる。元々ぐちゃぐちゃだったご飯がさらにぐちゃぐちゃになった。

(………ゲロ?)

まずそうだったご飯が、これ以上ないくらい、まずくなった瞬間だ。

試しに匂いを嗅いでみた。

(ツ----------ン)(中略)

「こうでもしなきゃ時間が無いのよ。何せ食べさせなきゃいけない患者さんは30人以上いるんだから。ナースは5人しかいないっていうのに…」




とまあ「あり得ない」描写が延々と続いたのですよ…
は?なにこれ?真剣「あり得ない」!!!!



さらにはp138 患者さんを「たたいた描写がある」

「患者さんは言ってもわかんない人が多いから、叩かざるをえないのよね」

「認知症の人って子供と同じなのよ。言ってもわかんない時は叩いてでも言う事を聞かせなきゃ。愛のムチと同じよ」

「そりゃ、一般病棟の患者さんを叩いたら大事件だけど、ここはねえ…。患者さんたちだって叩かれてもスグ忘れてくれるし、気にしていたら仕事になんないわよ」(中略)

叩くのは良くないけど、そこに愛があれば…。

私、茂一さんのこと好きだもん。

愛があれば、大丈夫、だよね?



うんなわけあるかっ!!!!!!!!!!!!!



というわけで私の方がキレまして、後ろのあとがきを見ましたら本作は元々、
『おどる老人病棟』という1998年に発行されたものがベース。

認知症という言葉はまだ一般的ではなく、ぼけや痴呆老人と表現されていました。

再出版の話を頂いた時、古い看護手法やおおらか過ぎる当時の状況などが今の時代に受け入れられるのか?と正直迷いました。こんな病棟許せない、看護じゃない、と批判する人もいるかもしれない…でもここが私の出発点です。



この「おおらか過ぎる」やり方をフォローするがごとく30年ぶりに古巣を取材していて
当時とは全く違う(食事、寝たきりにさせないために椅子に座らせる、
老人医療は「ただ」だったからあれほど「劣悪」だった環境も今は銭次第…)ことを
サラリと紹介は一応している。
何より、こういった「介護」はナースの仕事ではなくヘルパーの仕事になっている事!!!!!!!
制度そのものが変わった!という事は正真正銘の「姥捨て山」から「人権」が重んじられるようになったということか?(本文では「選択肢が増えた」と表現)


この本で一番「残念」と思ったのは「え?このやり方、いいの??」と思いながらも
先輩ナースの言うとおりにして流されていったこと。
「いいよね?」と責任転嫁に思えるような言動が多々見られること。
時代がそうだった、とはいえそれをそのまま掲載するのではなく「反省」を込めて
今ならこうしていたはず…という書き方をして欲しかった。
「大らかな介護」を実践されていた先輩ナース(当時40~60代)は今や自分たちがされる側。こんな手厚い介護を自分たちはしていたのだろうか?と反省して欲しいと思うが
ここに書かれている「個性豊かな」人たちなら「私たちの時はこうだった!」とむしろ自慢げにさも正当なやり方だったと主張するタイプになっているだろうと思う。