スマホ断食 藤原智美
- スマホ断食 ネット時代に異議があります
- 潮出版社
- 本
2016年発行
この時期に発行されたネット系の本を読むと携帯電話の分布図がガラケーからスマホへの
過渡期だったのだとよくわかる
ただの電話(通信機器)だったのが個人情報を収集する道具になっていることを気が付かずに、言い換えれば危険性を知らずに使っているユーザーが多い
今どきの小学生なら学校で軽くでもネットリテラシーに触れる機会があるのに対して、
それすら知らず「ガラケーが使えなくなったから仕方なく…」という感じのユーザーが
一番被害に遭いそう
とはいうものの「使いこなせなくて持っているだけ」の人の方が案外犯罪に巻き込まれたり
スマホ中毒にならずに済みそうな気もするのだが…
p14
私たちは情報へのアクセスとコントロールする必要があります。
なぜなら、本当に必要なのは大量の情報を入手し処理することではなく、
それを咀嚼して自分の思いや考えに役立てることなのですから。
人は情報にアクセスして、その上っ面を通り過ぎただけなのに、それで満足してしまいがちです。多くの情報に接すると、なんだかそれだけで賢くなった気になる。
それは多いなる幻想に違いありません。
p44
人間が処理できる情報には量的な限界があります。私たちが暮らしの中で受け取る情報量はその限界値をとっくに超えています。しかし情報をデジタル化すればとりあえずはストックして目の前からものを消すことができる。記念写真がもたらす記憶、思い出もデジタル化すればいつでも取り出せます。本も雑誌も新聞も音楽もストックして好きな時に楽しめる。古くなったが未だ捨てがたいスーツもスマホで撮影すれば、それにまつわる思い出まで一緒にストックできるでしょう。(中略)
そう、実はミニマリストとはモノに占有された暮らしからの離脱者であり、スマホを信奉する情報主義者でもあるのです。
スマホほど個人情報が詰まったものはなく、自分より自分の事をよく理解して、
分析して自分に必要なものをデーターであり商品を提示してくれるものはない!
そう考えるとスマホなりPCに管理されているんですよね、私たちって!
手のひらで転がされているのはスマホではなく私たち!
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