神様の御用人10 浅葉なつ
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感動の最終巻でした!!!!!!!
泣きましたよ!ホント!
まあどちらかと言えば現代パートより坂上田村麻呂とアテルイのパートの方が
小説としては読みごたえがありましたが。
日本史の教科書にたった一行で「坂上田村麻呂、征夷大将軍に任命される」で
片付けられてしまう人物の背景がこんなに悲しみと想いが本当にあったとしたら
サラリと一行で片づけられるのはどうかと。
このシリーズを読むたびに日本の神様っていつの間に人間の一個人の願いや願望・欲望を
押し付けられる下僕の様な存在に貶められてしまったのかと感じずにはいられない。
現代人が神様に願い・祈る時そこに「謙虚な敬う気持ち」はあるのか?
恐れなおかつ敬虔な気持ちで神に向き合っているのか?と。
キリスト教ならば前提が「人の子は罪びとである。よって神に祈り許しを請う」
所から始まるので常に「私の罪をお許しください」から始まり終わる。
日本の神様も本来は朝起きて「今日も目覚めることができて感謝します」
夕には「今日も無事一日を終えることができたことを感謝します」それだけ
だったはず。
人は「生きていることだけで丸儲け」と言っているけれど人間以外から見ると
「生きていること自体が罪」と思われているかもしれない。
p270
「子らの祈りは、細くはなれど絶えてはおりませぬ。比度も、大地の異変を察知した多くの人の子が、神へ手を合わせました」
そう言って天照大御神(あまてらすおおみかみ)もその国を見下ろす。
国之常立神(くにのとこたちのかみ)の本来の姿である、龍の形をした小さな島国を。
「そうか」
龍体の上で淡く光るのは、社を介する人の子の祈りの光だ。
大小様々な光が全国に点在し、龍の心臓を示すあたりは一層光が強い。
天照大御神の鎮まる、伊勢の地だ。
そして東京の真ん中にも、強く輝く場所がある。
今なおその血統が受け継ぐ祈り。
「ならばもう少し、見守る事としょう」
滅びと再生の神は、自らの身体に住まう子らを、愛おしそうに想って笑う。
日本各地で同時日に大きな地震が起こっている。
偶然とはいえもしかしたら滅びと再生を司る
『大建て替え』が本当に起こりつつあるのかもしれない…
天皇陛下の本来の仕事は「祈り」であると聞いたことがある。
決してにこやかに手を振ることが仕事ではない。
祈る、祈る、祈る…
ただこの国に平和と平安をもたらし続けてもらう事をひたすらに願って…
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