Noblesse Oblige  ~ノブレス・オブリージュ~

いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい テサロニケ人への第一の手紙5章16節~18節

奥行きをなくした顔の時代 米澤泉・馬場伸彦

奥行きをなくした顔の時代―イメージ化する身体、コスメ・自撮り・SNS―
奥行きをなくした顔の時代―イメージ化する身体、コスメ・自撮り・SNS―
晃洋書房

大学教授が書いただけあって


全然面白くない!!!!!笑


感想の書きようが無いというか「全然まとまっていない文章」を読んで
どう感想を述べよ、と言うのか。
二人を比べてまだ馬場の方がわかりやすい文章だった。
今どきの大学生はこんな訳の分からない抽象的過ぎる文章を授業で読まされているのかあ…大変ですね…


特に米澤の方は「論文」的というか引用が多すぎ。
その引用の方が重みのある言葉が書かれていてそちらの方を読みたくなる。
p94   ↓

顔が本質と現象、内面と外面との一致である事に基づいているのであるが、この一致は容易に失われるのからである。この一致が失われるとき、顔はもはや顔でなくなり、化粧はもはや化粧である事をやめる。この時化粧は単に外面を装う手段となり、表情は人を欺くものとなり、顔が単なる外面となることによって人は内面そのものを喪失する。

(矢内原 1986:13)



※でもハッキリ言ってこれも抽象的…それらをまとめた結果が本書であるならば
最初の感想となっても致し方が無い
論文とはいかに引用でページを埋めることが重要で、
自分の意見は曖昧に埋もれさせて重要な事を言っているようで言っていない技術表明の場!


第5章で二人の対談が載っている。
これだけ読めばこの本の大半は読まなくてもいいレベル


プリクラ→写メ→加工アプリという遍歴を経て、今や自分の顔がどれが
「本物」かわからない状態。
その「仮面」を毎日嬉し気にインスタでアップする…
「顔はその人の本質を表す」という「神話」は崩れ、
毎日違う顔でいることに違和感を持たない今どきの日本人女子。
オンライン会議では背景すらもバーチャルで覆い隠し、
プライベートを一切見せない・感じさせないのだとか。
マスクで覆われた下半分が見えない状態がその人の「素顔」という感覚。
それでも問題ない…と片付けていく今どきの感覚。


リアルとバーチャルの境目が無いのがこれからの時代…とまとめてあるけれど
私に言わせれば加工アプリの顔で「わたしってかわいい!」演出する人ほど
自分に自信が無いから盛って盛って盛りまくって「ちっぽけな自分」を
覆い隠すのだと思う。
自分に自信があれば堂々と正真正銘の「素顔」をさらすことに抵抗はない。
自信の無い自分がイヤだから「他者の顔」になりたがるのではないだろうか?