親・大人のありかた レッドデータガールを読み終えて
- RDG レッドデータガール (角川文庫) 1-6巻 新品セット
- 角川書店(角川グループパブリッシング)
- 本
子どもたちが小3、小1との時のこと
「いじめ」について二人を前に正座して話をした
その時私は泣きながら「いかにいじめはしてはいけないのか」を話したらしい
「らしい」というのは話したことは覚えているけれど泣いたことまでは覚えて
いなかったから
これを話してくれたのはたぶん大学生位になった長男が
「普段、鬼の(ような)お母さんが泣いた。
これは大変なことを話しているからちゃんと聞かないといけない」と思った、と
(二人の名誉のために言っておきますが、二人はいじめをしておりません)
そして長男が大学3年の時に中学へ教育実習に行いき、
無事終了した時に打ち上げ(同級生5人)で
その中の紅一点(中学時代はバレー部キャプテン)が
「私らが小学校の時、みんなが××君をからかっていた時
あんた(=長男)が『止めたれや!』と言ったのを覚えている」と
これまた私の息子らしく「え?覚えてないけど?」ということだったらしい
私の意見は子供が小学生の間はきちんと親が躾けること
たとえ毎日「うるさいな」と思われようが全力で子供にぶつかって
「正しい道を教える」ものだと
結果、二人とも成績は普通だけれど人間力はきちんと身に付いて
中学以降は自分たちの力で世間という海に船をこいで行ったと思う
私が「きちんと子供を育てる」事を意識したのは
今回の読書感想まですっかり忘れていたのだけれど
大学2年(当時19歳)の帰りの電車の中でのこと
途中駅から小学生が乗り込んできたので「ああ、うるさくなるなあ…いやだな」と
思いつつも隣の車両も子供でいっぱいだったのであきらめて座っていた
その時乗っていた電車はボックスシートタイプではなく、
両窓側に一列のベンチシートタイプ真ん中に通路、そんな車両だった
ポーカーフェイスで座っていた私の横に座った男子一名
ふと目をやると私の真似(=髪の毛を触ると同じように触り、首を動かすと同じように動かす)をしていることに気がついた
初めは無視していたのだけれどついに根負けして
「どこに行くの?」
「連合音楽会」
「へえ…」と小声でゴショゴショ
それを反対側のシートに座っていた女子たちが見つけ言葉はなくとも雰囲気で
「やあ…××君、お姉さんと喋ってる」「え~ほんと~」とニヤニヤしながら見ていた
そこでそれまでは「静かに座っていないといけない」緊張ムードだったのが一転して
声は出さなくともなんとなく目と目で会話し、
気の緩んだほわ~っとした雰囲気になってしまった
そこへさすがベテラン教師!と言った感じの彼らの女性担任が一喝!
「しずかにしなさいっ!!!!!!!!!」
私も彼もそして女子たちも亀の子の様に首をすくめて
「ああ、怒られちゃった」ムードに…
そうこうするうちに彼らが降りる駅になって「バイバイ」と別れた
その時、思った(啓示、とも言える)
「ああ、こんな風に本質を見ずに表面だけ見て怒る大人にはなりたくないな。
可能性をできるだけ引き出してあげたい」と
そう思った理由は
私の隣に座った彼はなんとなくクラスのムードメーカで「おちょける子」の役を演じていたのかもしれない。
※
大阪弁 訳語 解説
ちょける ふざける、おどける ふざけることを「ちょけ」という。
あんたはちょけてばっかしやな。おまえ、今のんちょけて答えたやろ。
一見、元気で明るい子に見えるけれど、怒られた時に彼が見せた表情が
ものすごく繊細で悲しそうな何とも言えないものだったから
「きちんと人の話を聞く」
たとえそれが子供であっても
「なんらかの理由があるはず」
もし、今の私がその時の電車に乗り合わせていたら先生に
「すみません。私が話しかけてしまいました」と謝っていたはず
その時は19歳で未熟だった
まだ人前で大きな声を出せる性格じゃなかった
ごめん、あの時のみんな
だから30年経ってもいまだに思う
あの時隣に座った少年に言えるのなら
「君の事を本当に理解してくれる人は現れましたか?
私は君に出会ったことで「こども」に対する認識が変わりました。
君の存在が「私」という存在に与えた影響はとてつもなく大きいのだよ。
ありがとう」と。
彼が今、幸せになってくれているといいな
親は(大人は)子供に正しい道を教える存在であるべきだ
もしくは ともに道を探るべきだ
そう、思っている
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