Noblesse Oblige  ~ノブレス・オブリージュ~

いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい テサロニケ人への第一の手紙5章16節~18節

私が最近弱っているのは毎日「なんとなく」たべているからかもしれない 小倉朋子

私が最近弱っているのは毎日「なんとなく」食べているからかもしれない
私が最近弱っているのは毎日「なんとなく」食べているからかもしれない
文響社
Digital Ebook Purchas

タイトルを見て大半の人は「ドキッ!!」っとするかも (;^_^A


著者、テーブルマナー講師でありつつ色々な肩書をお持ち
それ以上に「食のオタク」だな、という印象


よく漫画で主人公の友人のオタクが「ペラペラペラ_____」と
うんちくを披露しているときに主人公の「うぜえ」のセリフでうんちくが
隠れる描写がありますがそんな感じ
けれど聞いている方(読者)はあまりの「情熱溢れる食物への愛」を語られて
「お…おう…」って感じで圧倒される (;´∀`)


また著者にとって食べることは「研究」でもあり、
例えば一般的に「生」で食べるとされる食材を
煮たり、焼いたり、凍らせたり、刻んだり…と
あらゆる角度から味わう(味わい尽くす)


p22

この本のタイトルでもある『私が最近弱ているのは毎日「なんとなく」たべているからかもしれない』の「弱っている」というのは、精神面、肉体面、両面の事を指しています。

その自分を精神的にも肉体的にも弱らせる「なんとなく食べる」を止めさせる方法はたったひとつ。

それは、食への「敬意」を持つことです。


この本で印象的だったのが

3皿目

私が自分を大事にできないのはひとりご飯を雑にたべているからかもしれない


一人でも、ランチョンマットと箸置きを置く


お昼にお弁当を食べる時にでもこれからはランチョンマットを引いてみるのはいかが?
単に優雅に見えるだけでなく、生きていたものの「命をいただく儀式」の場でもあり、
結界を張ることにも繋がりそう


四角い布を一枚広げると「今は食べる時間」という事を自分にも周囲にも知らせることによって、例えば今まで会社の事務所で食べていたらたまに「コピーして」「電話取って」的な
事を言われていたのが「あ…食事中ね…」とわかってもらえるかもしれないし、
自分自身もなんとなく背筋を伸ばして食べるようになりませんか?
食べる時に背筋を伸ばしていたら消化にもいいし、何より「食べる」ことに集中するし、
「今、自分が食べている物は××でなるほど、こういう味がして、こんな触感だったな」と
命を味わうことにつながる


また、箸置きを使うことによって所作の美しさも当然ながら、背筋も伸びているだろうし、
今までだ~~~っと米食べて、汁吸って、おかずもぽいぽいとよどみなく口に放り込んでいたのが、一旦箸を置く、という動作を入れることによって「一休み」が入り満腹感を得る
きっかけ
につながると思う ( *´艸`)


フランス料理が中々出てこないのは料理の手間がかかるから…ではなく
「会話を楽しむための食事」だから(社交界が発端)
料理が出てこない間はおしゃべりタイム
そうすることによってあの少量でも満腹感につながるのだと思う


社交の為の食事と儀式のための食事
日本と西洋では色々な意味で「食事」の概念が違うのだろう


生きていた物の命を「いただく」からきている「いただきます」
なんとなく口に入れてなんとなく飲み込んでは「失礼」に当たりませんか?


背筋を伸ばして上品にいただく
綺麗な箸の使い方ができるようになったら今度は書類を渡すときに両手を添えて…
足も両足をそろえて斜めに流して音を立てずに座る…
素敵な女性の出来上がり!!! ( *´艸`)


でもそれ以上に「自分に自信が持てる自分」になっていると思う