Noblesse Oblige  ~ノブレス・オブリージュ~

いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい テサロニケ人への第一の手紙5章16節~18節

大峯千日回峰行 塩沼亮潤×板橋興宗

大峯千日回峰行 修験道の荒行
大峯千日回峰行 修験道の荒行
春秋社

塩沼氏の本を読んでいると何回も「大峯千日回峰行」という言葉が
出てきますが実際どんなものか?と問われたら不明だったのがこの
対談集によってその「行」のすさまじさが良く伝わります。
その一方で普段「仏教」というとひとくくりにされがちですが
塩沼氏は「行者」、板橋氏は「禅師」。
まあ、これだけ違うのであれば夫の実家のクソ坊主の説法が壊滅的に
グダグダな意味も良く分かりました。毒
これから葬式だけでは坊主は喰っていけませんな。
営業努力以上になぜ自分は「坊主になったのか」もっと自問して
自分を追い込んでもらいたい。

p143

禅師様のおっしゃる通り、人間はダメだと思ったらそこで終わりです。

そうではなくて自分ならできると自信を持つことです。

自信と過信は違います。自分の努力に対しての自信です。

だから絶対にあきらめない事。粘り強く、根気強く、ぼちぼち、です。

後は常に心を明るく持つこと。

心を明るく持つことによってどんなマイナスでもプラスに変える

ことができるような気がします。



やはり一番大事な事、みんなが願う事というのは、みんなが健康であって

みんなが仲良く生きる事、人と人との調和、人と自然との調和です。

これが社会にとって一番大事な事だと思うんです。

ところが、禅師様のおっしゃるように物質文明があまりも発展しすぎて、心という大事な部分がみんな衰退してしまっている感じがいたします。

一言で言えば昔の日本はもっと人情味があったんじゃないか。

大事な心があったんじゃないか。それが人を思いやる、そういう心がどんどん薄れて来て、また社会的なモラル、そういうものが非常に低下してきている。

(中略)

その結果得たものは、もっと多くの人と触れ合って人々の事を理解しなければならないという事でした。人と人、心と心、縁によって出会った全てに感謝し、より絆を深めるとい事です。この繋がりは現代社会に一番欠けているところでもあります。


p216

世の中にはいやな人もいい人もたくさんいますけれども、この地球上で今呼吸をしている人、全ての人がかけがえのない命であって、必要のない人はいないと思うんです。

限られた出会いの中で、どんな人も受け入れることのできる器を持つことが一番大事な事なのではないかなと思います。自分にとっていやな人でも、嫌いな人でも自分の心の成長の為には大切な仏様のお使いかも知れない、そういう考え方ができる様になりました。


私の一番大嫌いな人=母親 もそういう存在、と思って接するしかないんですね。
山に行かなくてもこの世は本当に「修行の場」。